治療のいわば無政府状態は、部品修理的な医学の当然の帰結であるということができますが、それは現代医学が部分的情報については微に入り細にわたりながらも全体としてきわめて不完全な情報の体系にとどまっている、ということを意味します。確実な部分と不確実な部分とからなるシステムは、当然、不確実なのです。感染症の場合は、特定病因説にもとづいた化学療法剤、抗生剤による治療がきわめて有効に働いて目覚ましい成果をかちえましたが、この場合も治癒に関与する生体側の複雑な諸条件に関しては、近年の免疫学の飛躍的な発展にもかかわらず、くまなく明らかにされたとはいえないし、したがって現代の医療が感染症を一〇〇%完全にコントロールしているとはいえないのです。まして今日の支配的な疾患である血圧、癌、糖尿病などの慢性病については、その本質はほとんど明らかではなく、したがって本質論にもとづいた治療は全く望みえない現状であるといわなくてはなりません。古くから広く行われていたのは現象論的・症候的な治療です。頭が痛いといえば鎮痛剤を処方し、脈が乱れたといえば不整脈を改善する治療を行うという類いです。その次の段階は、実態的な治療です。やせてきた、疲れやすい、尿量がふえた、できものができやすい、などという現象にもとづいて病像を組み立て、それらを足がかりとして治療を進めるよりも、血液や尿を検査室に送り、その中の糖を測定して糖尿病と診断し、糖代謝のコントロールを目指して食事を制限し、インシュリン注射その他、血液中の糖(血糖)を減少させるための治療を行う方がはるかに合理的であることはいうまでもありません。実態論に即した治療です。