終戦まもなくの頃、戦災を受けた都市部に建てられたのはもっぱら応急簡易住宅で、内風呂を備えた家は少なく、銭湯通いが一般的だった。銭湯は、庶民の社交場にもなった。『ワコールニュース』の1993年9月号に、50年代当時に下着デザイナーだった女性の次のような回想がある。「昭和32〜33(1957〜1958)年の話ですが、マスコミが『銭湯行きのスリップ』を話題として取り上げたことがあるんです。つまり、お風呂に行くためにわざわざピンクやサックスなどのきれいな色のスリップを着たというエピソード。『スリップはおしゃれなものなんだ』という意図は当初からきちんと伝わっていたと思います」銭湯の脱衣所で、湯上がりのひとときの時間を過ごす女性たちは、それまでの浴衣やシュミーズに代わって、装飾が華やかで、きれいな色のスリップを纏い始めたのだ。男性の目がとどかない女湯の中、ファンタジックなフリルやレースは、ちょっとしたお姫様気分も演出してくれたはずである。同誌の1959年12月号にも「下着雑感」と題した寄稿がある。筆者である女性デザイナーが、戦前の少女時代に加わいい花柄のプリント布でスリップを自作したことを思い出して、そのスリップを「一人だけで楽しむのが残念で、人に見せたい気持がお風呂屋行きを志願しました」と告白している。彼女にとって銭湯は、自分の作品を披露するファッションショーの会場だったわけだ。また、このエッセーの中では、人から聞いた話として「船橋のヘルスセンターにいってみると、いわゆる小母さん達が、寝ころんで歌や踊りを見ているけれど、その殆んどは綺麗なナイロンスリップを着てるんで驚きましたよ」とも記されている。1959年当時、風呂上がりのリラックスしたひとときは、色鮮やかなスリップで彩られていたようだ。このエッセーの筆者は、こうも語っている。「本来下着は人に見せるものではないのです。けれど美しいものは見せたいというのが人間の心理のようです。又、見せないまでも、人の着ていないものを身につけているという優越感も持ちたいもののようです」「下着がどんどん美しくなってくれることは、見せる見せないにかかわらず、女にとっては楽しいことなのです。この気持は男にはわからない」こうした記述から、1960年頃の女性の下着への思いが推察される。スリップという中間的な下着とはいえ、それ自体を楽しもうとする感性は、この時代においてすでに多くの女性たちに共有されていたようだ。そして、さらに着目したいのは、下着のオシャレが、男性からの目線に媚びるものではなく、あくまで女性のためのファッションとして語られていることだ。さらにいえば、男性の目が届かない場所だからこそ、女性たちは自分たちの美意識を素直に楽しむことができたのかもしれない。こうした感性の萌芽は、やがて訪れる下着のファッション化時代に向けた大きな流れを作りつつあった。アウターウェアの下に静かに隠されたまま、世の男性たちが知らぬうちに、洋装下着は変貌を遂げていったのである。ちなみに、その後、各家庭に内風呂が設置されて銭湯へ通う人が減っていったこと、また60年代後半から若者にジーンズそしてパンタロンといったパンツルックが流行することによって、スリップの着用機会は少なくなっていく。しかしその魅力が衰えたのではなく、特別にドレスアップする時に着用する、エレガントで高級感のある装飾下着として現在も価値を保ち続けている。
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