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ぼろは着ててもこころの錦か?

あるとき、取材で一週間、ロンドンに行った。カメラマンと私はその間、昼と晩に市街のレストランで食事したのだが、どの店に行っても通されるテーブルは同じだった。我々の指定席は、決まってトイレの前。ここは、入れ代わり立ち代わり用を足しに来た客が視界に入る、最悪の席。誰も座りたがらない、招かれざる客の扱いだった。私はこれを最初、よくある人種差別と捉えていたのだが、ウェイターの席の決め方を見ていると、必ずしも我々が東洋人である、という理由だけではないのに気づいた。それは、服装だった。ジャケットを着て、きちんとした身なりを整えている客は上席に案内され、そうでない客は末席をあてがわれていたのである。日本と違って階級社会のヨーロッパでは、職種をそうそう変えることができない。ウェイターは何十年も同じ仕事を続けていて、人の装いを見る目には狂いがない。彼は一瞬にして、来客が自分の店格にふさわしいかどうかを判断するのだ。出張中、我々は折り目のついたパンツと革靴をはいていたが、上半身は重い機材を担ぐため、Tシャツにブルゾンといった出で立ちだった。あのときの悔しさは少しも薄れていない。が、今ではむべなるかな、とも思う。なぜなら、まず自分たちのほうが店に対して敬意を示していなかったのだから。日本では人を見るとき、いまだに「ぼろは着ててもこころの錦」という考え方が根底にある。あの人は服装は冴えないけれど、立派な人格の持ち主だ。あの先生はいつでもTシャツにジーンズだけれど、どこへ行っても堂々と振る舞える人だ、等々。外見よりも中身が大事、反対に外見ばかり気にする男は、おろそかにしている内面を隠す手段としてお洒落に熱心なのだ、と、そんなファッション観。しかし、戦後の、眼前に焼け野原が広がっていたころならいざ知らず、今、本当に服を買う余裕がないという人はきわめて少ない。状況が変わったというのに、錦の御旗のごとく「ぼろは着ててもこころの錦」に頼るのはいかがなものか、と思う。「お前がいっていることは遠いヨーロッパの話じゃないか、日本なら格式のある店だって、パジャマに毛が生えたような格好で来るのが意外に常連の特権だったりするではないか」という意見もあるが。

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