昨年、私はまだ自分の家もないのに、田舎に墓を造った。祖母や母の墓からは少し離れてはいるが背景は同じ深い森である。とりあえずこれで還るべき場所が決まったと思うと、なぜかほっとした気分になった。ローンをかかえてマイホームを建ててみても、これだけの気持ちの安らぎは得られなかっただろう。40歳を過ぎ、先にかすかに見える「死」というゴールを意識しながら、往路で身につけた余計なものを少しずつ脱ぎ捨てつつ復路を走り、生まれたときと同じ裸になってゴールインしたいものである。どこまでも真っ直ぐ走って行って、倒れた所がゴールという生き方もいい。そんな生き方に憧れた時代もあった。しかし、往路では見えなかった人や風景の影の部分をじっくり見ながら、のんびりと復路を走る生き方が自分には適しているようだ。見るべきほどのことは見た。最後にはそう言って静かに笑えるように、目だけは今年もしっかり開いておくつもりである。